近頃じゃ映画館の中、VisualAlbum暁を見かけたりするだろう。

VisualAlbum暁の個人的な感想の覚書。



VisualAlbum暁なるものが映画館であり、どうやらMVをスクリーンで観る企画のようだという程度の認識でチケットを予約した。上映される一番近い映画館は少々遠く、仕事終わりに行ってぎりぎり間に合うかどうかの距離にある。そもそも映画館に行くのが得意な方ではなく、かなり気合を入れて行かなければならない、加えてワンピースの映画に行きたいと思っていたので連続で映画館に行くことになってしまうため、直前でかなり億劫になっていた。連日の暑さで疲弊しているのもあって、チケットの発券は済ませていたが最悪行かなくてもいいかと思うほどだった。そう、正直に言えばそこまで期待していなかったのである。ライブではないし、大きなスクリーンでMVを観るだけでしょう、そういう認識だった。

コンビニで発券したチケットがそのまま使えるのか、映画館で改めて発券の作業がいるのかどうかもわからないまま現地に向かい(コンビニで発券したチケットをそのまま渡せばよいシステムだった)、ワンピースを観に来ている大量のひとたちを羨ましいと眺めながら、せっかくだからライブのときには持ち込まないコーヒーなどを買って劇場に入った。

まず楽しくなったのはここである。ライブであればそのライブのグッズを持っているひとが多いが、この度はツアー前。てんでばらばら思い思いのポルノTシャツやバッグ。つま恋やFCUWのTシャツ、ディスパのバッグ、持っていないな持っているな懐かしいと思いつつ席に着く。周囲は老若男女。

ライブの前は緊張と興奮でいつも落ち着かないが、とても落ち着いた気持ちで始まるまでの時間を過ごせた。油断である。

事前情報をほとんど摂取しておらず、MVと制作風景が流れるものだと思っていたので、始まったときにMVでないストーリー映像が流れて一瞬面食らった。ああこういうものなのか、と思い直してすぐに、画面のいたるところにかくれんぼ絵本のように散りばめられているポルノグラフィティ要素にテンションが上がる。VSのポスターやCDジャケット、各種ロゴ。THUMPxのジャケット、めちゃくちゃ好きなんだよな、と思いながら、宝物のように子どもが「ポルノグラフィティ」を集めている映像にこちらも幸せな気持ちになる。

画面の中の子どもが頭になにかを装着したとき、ブレスのMVか、と思って始まるブレス。

この直前まで、楽しみにしていたMVはどちらかというと暁で初出の曲の方だった。映画館で初めて観る方がいいだろうと思って事前に見ないようにしていた。単純に時間がなかったのもあるが。

何度か観ているブレスのMV。個人的には「かわいい」分類で、穏やかで和むものであるはずだが、気付いたら泣いていた。疲れているせいで涙腺がゆるくなっているのか?二千円の元を取ろうというせこい精神から過剰に反応しているのか?と己と問答をするが、やはりどうにも泣けてくる。隣の知らないひとも泣いていた。

このあとも、観たことのあるシングルのMVすべてで泣いてしまった。ライブのときの興奮で出てくる涙とはまた違う、内部から染み出るように出てくる涙。曲によっておそらく涙の種類は違ったのだろうと今あとから思えばそうなのだが、観ているときには何故観たことのあるMVでこんなに泣いてしまうのか不思議だった。

Zombies are standing outで言えば、私はZombies are standing outを全人類が聴くべき曲だと思って生きている人間だが、映画館の巨大なスクリーンで、震えるほどの音響で聴くZombies are standing outはカッコよすぎて涙がでた。カメレオンレンズもどちらかと言えばそう。テーマソングは疲弊しているこころを包まれた癒しと、今回のツアーでも声が出せないであろうことへの憂いがないまぜになっていろいろなごちゃごちゃから。VSは、2019/09/07-08へ還りたいという祈りと、この道歩いたな、あのクレープ食べたなという思い出から。他様々。

個人的にMVは発売されたばかりのころは何回もリピートして見ているが、しばらくして耳に馴染んでしまったら見るのはなにかの作業をしている傍らに流すものになる。料理をしているとき、猫が膝に乗って寝ているとき、なにかをしている合間に見るもので、『MVを見るために見る』のは最初の方だけ。その映像を、何年か経ってから『MVを見るために』かつ『映画館という最高の設備』で見るということは人生で初めてのことだ。馴染んで、私と寄り添って生きている曲と、改めて真剣に対面する。ライブのとき、いつも「私とポルノグラフィティ」という気持ちで臨んではいるものの、現実ではやはりどうにも「私たちとポルノグラフィティ」という対大勢のなかのひとりという気持ちになる。しかしどうだ、映画館は贅沢なほど孤独な時間を大勢と味わう場所だ。私は私の五年と、ポルノグラフィティと向き合っていた。そういう時間を過ごした。

合間合間の映像が、よくわからないな、と思うことはあったが、そのよくわからなさも愛おしかった。私が私の時間とポルノグラフィティと向き合うことのように、どこかのだれかがポルノグラフィティと向き合っているいつかの時間を切り取るとこういう風に見えることもあるのだろうな、と感じた。

暁で初出のMVたちにも概ね同じように思う。

印象的だったのはナンバ-で、『続・ポルノグラフィティ』で聴いたときには爽やかでお洒落なイメージだったが、映像はアウトローな男女が瞬間を刹那的に生きている様。おそらく『今』だけを楽しんでいるふたりのおそろしいほど愚かで無邪気で無謀で幸福な時間だけを切り取ったもので、なるほどポルノグラフィティから与えられた材料でこういう料理をするひともいるのだなと目を見張った。

ポルノグラフィティの曲と、クリエイティブな映像。例えば家でYouTubeで流して見ていた場合、あそこまで真剣に見ていなかったかもしれない。どこか忘れてしまったがアジアのどこかの夜景の映像が美しかった。美しいものを美しいと感じる時間があることは幸福だと思う。アップテンポの曲が好きなので、曲だけ聴いたときは、暁と幽霊少女が印象に残ったが、映像と共に見るとナンバーやメビウスが印象強い。You are my Queenは「かわいい」印象だったものが、この曲こんなに「カッコイイ」のか、と感心したものだ。

敬愛する小説家の伊坂幸太郎氏のことを思い出した。シンガーソングライター斉藤和義氏とのコラボでは歌詞ではなく小説『アイネクライネ』を書いて、斉藤和義氏がそれを読んで曲を作った。映画監督山下敦弘氏とのコラボ『実験4号』は同じ世界と映像と小説それぞれで描いた。同じ方向を/同じ世界を切り取っても、各々が各々の持ち味をそのままに表現された作品だが、まとまりとしては同じ物のなかにある、あれも不思議な味わいのものだった。

閑話休題ポルノグラフィティが用意した素材で、様々なひとがワールドワイドに思い思いに作成したオムニバスの短編集を見させてもらったように思う。鳴り止まぬ歓声を浴びるひとが遠い世界のように、スクリーンに映るポルノグラフィティのふたりは、ずいぶんと遠いところのひとのようだったが、最後のシーン、チャイムが鳴ってドアを開けたときにポルノグラフィティがいるという夢のような場面、エンディング?で撮影風景が流れた時、映像作品内では背中しか見えていなかったふたりの顔が、とても柔らかく、やさしい笑みを浮かべていて、それがほんとうにとてもすてきな表情で、なんだかどうにもたまらなく、誇らしいような、愛おしい気持ちになった。

退勤時、元気がほしいとき、カーステレオでポルノグラフィティの曲を流す。無理矢理に耳に流し込んだり、口ずさんだりしていれば、完全には無理でも、なんとかなるところまでは浮上できる。今日の帰り道、少し大きめの音で暁を流した。自然と声が出た。今、自分は元気なんだとはっきり自覚でき、自覚できることが幸福に思えた。ワンピースも来週たぶん観に行くことができる。それくらい元気だ。ポルノグラフィティを好きでほんとうによかった。はやくライブに行きたい。